インタビュー

田中 太郎
自分のために土器をつくる

田中 太郎(土器とカレーの人)

  • 編集・インタビュー:笹田理恵
  • 写真:加藤美岬

田中 太郎(土器とカレーの人)

東京生まれ。京都精華大学を卒業後は、多治見に移り、土器を作り始める。最近は、田んぼや畑で作物を育て、「タナカリー」としても出店。2023年春に、多治見市内の本町オリベストリートにオープンする複合施設「かまや」でカレー店を始める予定。

Prologue

土器の人であり、カレーの人。作物を育て、土を耕す。なぜ土器を作り続けるのか。なぜカレーなのか。畑なのか。その背景には、田中太郎さんらしい自然体で何事にも身を任せられる強さがありました。

物々交換ぐらいでいい

3年前に話を聞かせてもらったときは、「自称・陶芸家だ」と言っていて。

今も大して変わらないですね。何をもって「陶芸家」なんだろうみたいなことも相まって、余計に分からない。でも、そのことについて普段から考えてないかな。ただものを作ってるのが好きだったから、たまたま精華大学に入学して、たまたま入ったのが陶芸専攻だっただけ。昔から土いじりは好きだったから、なるようにしてこうなったのかもしれないですけど。

今はいろんなところで個展をしていたり、この数年でだいぶ状況が変わったのかなと思うんですが、どうですか?

今となっては展示をさせてもらえるようになったけど、数年前は人に見てもらうこともぶっちゃけ考えてなかったんですよね。漠然と何かを作って、作品を売ってお金を稼ぐ、ぐらいしか考えてなかった。結局、売れても売れなくてもどっちでもよかったんだと思う。どうでもいいことじゃないですけど、ある種どうでもいいことでもあって。物々交換ぐらいでいい。お金にする作業がとにかくめんどくさいし、それは僕にとって重要じゃなかったんですよね。作っていればええじゃろう、みたいな。笑

たくさん売るために土器を作ってきたわけではない。

お金に換えられればいいのに、と思っていたけど、お金に換えることが目的ではなかった。陶芸教室でサラリーマンもして稼いでいたのもあるし。本当は作品を売れる形や手に取りやすい状態に咀嚼して出すことが必要だったかもしれないけど、単純に土器を作ってる行為自体が僕にとって大事だった。それは自分のために作ってたから。それを最近、理解し始めた。

人に見てもらうことを意識し始めたきっかけは?

例えば、クラフトフェアに対しても、ちょっと斜に構えてたんです。クラフトフェアって何なんだろう。なんで出るために審査されなきゃいけないんだ、みたいなことも考えたりしながら。でも、どうせなら上から攻めてみるか、って松本クラフトと灯しびとの集いに応募したら、どっちも通った。そこでつながったギャラリーさんやお店の人から声かけてもらって、ちょっとずつ誰かに見てもらうことを意識しながら作り始めましたね。インスタに土器をあげていたら人づてで声がかかったり、「新町ビルで見ました」とか、いろんなところから声かけてもらえるようにもなって。でも、展示したからいっぱい売れるかといったら全然売れないことの方が多くて。

たろうちゃんの作品は、しっかりファンがついているイメージがあるけれど。

リピーターは多いですね。お店をやっていたり、作家さんやデザイナーさん、何かをすることに興味がある人は僕の作品を見て買ってくれることが多い。

展示をしていても、全然売れない時はあるんですね。

全然出ない時の方が多かったかな。「ぜひやってください!」と声かけてもらって、いいんですか?って始めたら、「すいません。全然売れませんでした!」っていっぱい返ってくる。笑 ですよね~と在庫にしたら別の人が声かけてきて、いっぱい買い付けてくれる。「買いつけたものが評判良かったので展示しましょう!」と言われて、いいんですか、売れないですよって伝えたけど、「いいです!」って言うから持って行ったけど全然売れない。笑

「すいません!」って言われる。笑 いつものことなんで。次もどこかに流れていくので大丈夫。そのくり返し。

「販売」が紐づく展示やクラフトフェアでは、必然的に「売れる」を意識するものかと思っていたけれど、そうでもない。

うん、どちらかというとクラフトフェアも「とりあえず見てもらうか!」の感覚で応募したんですよ。松本クラフトは初めてだったから「目立たないとダメだよ!」と周りの人に教えてもらって、地ベタに作品を広げて自分が座って隠れられるティピだけ立てた。そしたら「これは何ですか」って聞かれるから「これは土器で~、庭で焚き火で焼いてます」とか説明してたら、全然ティピの中に隠れる時間もなくて。笑 「あの小さいテントのところ」って待ち合わせ場所にもなってました。

クラフトフェアが嫌い、の気持ちは払拭されましたか。

やったことないのに嫌いって言っててもしょうがないよなぁと思って応募したのもあるんですけど、やってみないと分からんことが多いなと、改めて思ったかな。今もあまり興味がなくて、わざわざクラフトフェアまで行くのもなぁと考えるようになりました。きっと出たらそれなりに売れるんだろうけど、そこに行く必要は俺には今のところないかなって感じですね。

自分のための土器づくり

土器を作り始めた頃から作り方や作風は変わってない?

全然変わってますね。最初は単純に「これを作ってみたい」という願望で、コスパ最悪な制作スタイルだった。何の前知識もなかったから半年かけて、何個も爆発させながらちょっとずつ焼けるようになる。最初は1ヶ月後ぐらいかけていろいろ作ったのに、目の前で全部爆発して粉々に。

それは土? それとも焼き方の影響で?

陶芸は、まず土ベースで何を作るかを考えるんです。そもそも野焼きに向いてない土でチャレンジしてた。全部が爆発する状況に直面して、爆発が少ないやつをずーっと観察して。じゃあ、次はどうするってやり続けてきて、なんとなくできるようになった。

実験をして、観察をし続けて、ようやく作れるようになっていく。

だから、お金のことを考えてたら土器はやってないんだろうなと思いますね。作りたかったからやれているだけ。今は土の配合が分かったのもあって、ほとんど爆発することはなくなりました。

土器を作っている人は多くないから、たろうちゃんの知識や経験は貴重なものでは。

そうかもしれないですけど、誰でもできるっちゃできることだと思う。続けたい気持ちがあるかどうか。やりたい人には全部教えちゃう。元々、土器が好きで買ってくれたお客さんが作ってみたいって言うから、作り方を教えてあげて一緒に焼いたこともあって。その後、一人で実家の畑で焼きました、って言ってましたね。

ちなみに、土器の何に一番の魅力を感じますか?

何もなくても作れる。

設備とか。

実際、陶芸を勉強した大学を出て、工房を探して、あれやこれや、やりたいことをやろうと思うと、あれがない、これがない、できない、みたいなフラストレーションが溜まる一方だった。伝手もねえし。じゃあ、やらなくていっか!みたいになって。笑 2年間ぐらい、ほぼ陶芸せずに飲み歩いてたんですけど。

大学を卒業して多治見に来てから?

そう。アルバイトをして生活して、たまに土をいじって、何かないかなって思ってたら……会社の飲み会で司ラボ(多治見のシェア工房)の加藤貴也さんが向かいに座っていたんですよ。司ラボのことは梱包材として使う新聞で何となく知っていて、その記事を見てからひと月もしないうちに出会った。そこから工房を貸してもらって、窯を使って土器を焼き始めたんですけど、壊れるリスクを全く考えずピカピカに磨いた土器を作ることしか考えてなかったんですよ。ピカピカの泥団子作りみたいな感じで、ひたすら研磨する。(当時の作品を探す)………あ、ありました!

ほんとだ、ピカピカの土器。

とにかくツルピカにすることしか考えてなかった時の作品。ピカピカだった頃を忘れないために取ってある。この手間をかけたやつでも野焼きすると全部爆発してなくなることがあって、じゃあ、なんで磨かなきゃいけないんだろうと思ってから磨くことよりも焼くことに集中し始めた。そこからトライ&エラーが増えていったかな。

安定して作れるようになるまで試行錯誤を続けてきたんですね。

展示が決まるといっぱい作るけど、基本的には5、6コ納得のいくものが作れたら満足。ちょっとでいいんですよ。そんなにいっぱい作っていたらしんどくなっちゃうから。やっぱり根底にあるのは、自分のためのものだという思いがあるので。自分が好きな「カレーとお酒の器」をメインで作ってる。土器とはどういうものかを考えた時に、やっぱり自分のためのものだな~って思う。

米、野菜、器、全部結び付いたのが「カレー」

土器だけじゃなくて、田んぼや畑をやっているよね。

そう、最初は土器のツボが丸底だから鍋敷が作りたくて藁を探してたんですよ。そしたら、田んぼやらない?って声をかけてもらって始めた。畑もあるから、カレーの野菜を育て始めたのがきっかけで、土を作ることや自然農法にも興味が向くようになって。でも、自分がやっていることは「農業」ではない。

「業」じゃない。

畑の成り立ちというか、なんで「農業」になったら苦しくなっているんだろうって考えてる。いわゆる農業ベースでネットに情報が撒かれてるじゃないですか。形がキレイじゃなきゃいけない、いっぱい収穫できないとダメ、虫にやられたらアウトとか。いろいろ書いてあるけど、なんでダメなんだよ。収穫できたらいいだろ!みたいな。なぜダメなのかを考えた時に、やっぱり利益を得ようとするとダメなことが多くなってくる。実がついてるぜ、ラッキー!ぐらいで満足できれば、それでいい。畑のおかげで脳みそが柔らかくなって視野が広がった感じしますね。

畑での気付きも、ものづくりにつながるものですね。

野菜作るの難しいな~って思いながら土の成り立ちを考え始めたら、土器とは違う方向で思いが及んでいく。そこからやっていることがちょこちょこつながていって、それを一つにまとめると「カレー」になった。笑 元々カレーは好きだったから、cafe NEU!(多治見のパンとカレーの店)でスパイスカレーの作り方を教わって毎日作っていたんですけどね。いまやっていること全部、カレーになるって気付いて。

米も野菜も、作る器も、全部カレーに結びついた。

そうそう、たまたまカレーになっただけ。

じゃあ、特にカレー屋さんになりたい!みたいな願望があったわけでもなく。

いつも何も目指さずにやってるんですけど、続けていたら、たまたまいろんなものとつながるようになっただけ。興味がなくなったら放置して、興味が出てきたタイミングで構い出すと何かとつながってくる。なんでこうなってるんだろうとか、どうしてこうなんだみたいなことが理解できるのも、めっちゃ楽しいんですよね。

「なぜ」を理解したいという知的好奇心?

それしかないかもしれないですね。自転車を乗れるようになる瞬間、うれしいじゃないですか。乗れた!みたいな。それを味わいたい。その感覚を得られた時が一番、おお~ってなる瞬間。

子どもの頃から突き詰めて疑問を解明していくのが好きだったとか。

めっちゃ小さい頃はそうだったと思うんですけど、「なんで?なんで?」を言いまくっていたら、父ちゃんに「うるさい!」って言われて。そこから疑問を人にぶつけなくなった気がします。これは自分で考えなきゃダメなんだって。ものづくりを意識し始めてから「なんで」にまた興味が出てきたのかもしれないですね。小さい頃の「なんで」を取り戻したじゃないですけど。

封印されていたのかもしれないね。

意識してない時に、ふと「あ、そういうことか!」って答えが分かる。その繰り返しですね。今年、なんで虫が多いんだろう、なんでこんなに気分悪いんだろう、なんでここだけカビ生えてんだろう、みたいな。

自分に浮かぶ問いを無視しないんだね。

普段は無視しまくってるけど、気になったらめっちゃ見る。マルチタスクはできないですけど、同時進行にあれこれ手を出してるのかな。

来春オープンする「タナカリー」に向けた意気込みはありますか?

サラリーマンでもらっていた現金収入をカレー屋さんでやれたらいいな、ぐらいしか今は考えてなくて。チャンス来たら飛び込めい!って感じで。笑 おしゃれな店をやりたいわけでもないし、「僕が全部作りました」みたいなことを取り立てて伝えたいわけでもない。蓋を開けたらそうだったよ、ぐらいが良くて。まぁ……なんだろうな。ちょうどいいタイミングでちょうどいい人や、ちょうどいいものに出会う能力がある!と自覚するようになりました。ラッキー!みたいな。

絶妙なタイミングで、ベストなものに出合うからこその結果。

最近すごくよく思うのは、とりあえず余裕が大事。余裕があるおかげで、いろいろ周りを見れるようになるし、改めて自分を顧みることにもなる。切羽詰まった状況にならないように動いてるんだろうな。嫌だな!って思ったら離れてるから。笑

じゃあ、日々の中で納得してないものは特にない?

興味なかったら置いちゃいますね。部屋にいっぱい物が並んでると思うんですけど、やらなきゃいけないことがあると邪魔だなってどけちゃう。笑 その瞬間に置いたことを忘れて興味がなくなる。すると、ずっと置きっぱなし。このツルピカの土器も3年ぶりぐらいに触った気がする。でも、こうやって点在してるおかげで、お前ここにあったのかよ!みたいなこともいっぱいある。

それって頭の中の状態と似てる。「疑問を頭の片隅に置いておく」ような。

あ、そうそうそう。身近にあっても興味を持たないと気付かないし、転がっているチャンスにも飛びつけない。目的を持って賢くやれている人たちはいっぱいるけど、僕はあまり目的を持って行動することがないので、こんな感じなのかもしれない。

たろうちゃんは水みたいに流動的で清らかな人だと感じる。

考えの根底にあって一番大きいものは、やっぱり土器を作り始めたこと。無理してやらなくていい。工房を構えて、窯を買って、いっぱい売らないとその場所が維持できないみたいなことから楽になったから別のことに興味を持てる。売らなくていいから、いくらでも時間かけるんですよ。その辺は同人作家さんとかと一緒。プロではないなって感じがする。

なるほど。

だから、僕は陶芸家ではないと今でも思ってるし、土器をやっている人ぐらいですね。飯の種だから釉薬の調合や焼き方とか内緒にするじゃないですか。でも、俺は聞かれたらなんでも答えちゃう。同じやり方で作っても同じものができるとは思わないし。

ほどよく執着を手放しているようにも見えます。

この考えのきっかけになったのが『スピリットの器』という本なんですけど。ネイティブアメリカンのプエブロという部族の人たちの神話とか精神性、土器に対する思い、ものとの関わり方。自分たちのために作る、みたいな考え方を読んで。ものを作るって、そういうもんだよな。元々は、お金に換えるためにものを作るわけじゃないよな。ご飯だって自分たちが食べたいから作るし!と思って。

根源的にはそうだよね。

その本を読んでから、より一層、土器でええな~、と思えた。自分のために作ってるから売らなくてよかったんだなって最近気付いたし消費されたくはない。それに「じゃあ、や~めた!」でいいんすよ。笑

人からの見られ方を気にすることもない?

あんまり考えなくないですか? ……承認欲求がないのかもしれないです。作品が売れるっていうのは認められていることだから、売れないよりは売れる方がいいんですよ。いいな~、売れてて!みたいな感覚はあるけど、かといっていっぱい売れたらいっぱい作らないといけないし……それは嫌だなぁ。でも、ものづくり以外のことも含め全部に言えることかもしれないですけど、自分に嘘をつくのをやめたから楽になったんですよね。

それは会社を辞めたことも大きい?

いや。会社辞める前からこの考えになった。それも全部、土器を作り始めたからかな。

おお……土器ってすごい。

さっきの承認欲求の話につながるかもしれないですけど、かっこつけているつもりがなくても、いま思えばかっこつけていたのかもしれない。売れてなんぼ、お金を稼がないと、みたいな。自分が作りたいものと売れそうなものの間で作っていたこともあるけれど、楽しくなくて、一切手応えを感じられない。この先に何の発見があるんだろうと思った。そもそもかっこつけてる時点で、俺がやりたいことから離れているんじゃないのか。無理やり何かをしていたって後々しんどくなってくる。

知らず知らずのうちに作品で自分に嘘をついていた。

全部のことに言えると思う。気付かないうちに自分に嘘ついて続けていること……本当は好きじゃないけど、この人と一緒にいる、とか世の中にいっぱいあると思うんですけど。そういうこと全部にどこかのタイミングで力を注がなくなったんでしょうね。あ、嘘ついてたのか~って気付いてからは、囚われることが少なくなった。嘘をつかなくなったから、ゆとりが生まれる。外に意識が向かなくなったんですよ、たぶん。

自分に意識を向けてあげられるんですね。

そう、くだらないことにエネルギーを使わなくなった。見栄を張ってるつもりもなかったけど、たぶん張ってただろうし。とにかく興味ないこと、くだらないことに力を注がなくなった。パソコンで例えるとキャッシュを限りなくゼロにするような感じ。土器づくりなんて誰に言われてやってるわけでもないから、いつでも辞めたらいいって思うと楽になる。だから、周りを見れるようになって、よりハッピーになっている気がしますね。

その感覚が、たろうちゃんをどんどん自由にさせてるんだね。

そう。だから、タイミングよくいろんなものに気付けるのかもしれないです。それも「恵まれてる」と思えるようになってからかなと思います。よかったねって感じです。

あなたにとって“普通”とは何ですか。

最後に、質問カードを引いてもらえますか。いろんな人が書いてくれた「誰かに聞いてみたいこと」がランダムに並べてあります。

Q:あなたにとって“普通”とは何ですか?

まじ、『プロフェッショナル』みたいじゃん!笑 普通とは……これね。よくみんなでしゃべるやつですよね。どの普通なのか。うーん……自分に嘘つかないですかね。人には嘘ついていいと思いますけど、自分には嘘をつかないこと。そう思います。

じゃあ、たろうちゃんからの質問をお願いします。

「幽霊を見たことありますか」が知りたいけど、ここに書いても俺は直接聞けないから。笑 じゃあ、どうしようかな。「目に見えないものを信じますか」ですかね。

いいですね! それは人によって分かれそう。たろうちゃんは信じますか?

信じないけど、その人にはあるのかなって。だって体験している人はいるから。書いといて何ですけど分からないことだから、その人に伝えてもらうことしかできないじゃないですか。笑 納得できたら信じちゃうかな。

オカルトは好きだよね?

好きだよね~!だって、俺が見れないものを見れるんだもん。いいな~って思うんすよね。

霊感や第六感みたいなものはない?

なんか、やべえ気がするなっていう時に、事故にあったことが何回かありますね。なんか今日、嫌だなみたいな。

それは虫の知らせ的なことなのでは。

でも、いつ来るか分かんないし、結果そうだっただけで後付けなんじゃないかみたいな。でも、ここ良さげじゃね?とかの直感は当たってる気がしますね。直感って「目に見えないこと」じゃないですか。「直感に従ったらうまくいった」は信じるし、そのおかげでラッキーみたいな感覚もある。でも、それって幽霊と何が違うの? 幽霊だったら急に信じないのは、なぜ?

たしかに。笑 直感を信じる人は多いよね。

死後の世界を見た、とかの話は単純に興味あるからめっちゃ聞きたい。信じる・信じないは、さておき目に見えないものを知りたいな~。でも、知った気になっちゃうのが一番怖いですけどね。

END

Credit

  • 編集・インタビュー:笹田理恵
  • 写真:加藤美岬